モードブランドは太いパトロンを持つアーティストなのか?
すごい文章を読んだ。
何が凄いかってファッションの話をするために、ファッションに全く関係ない(ように見える)話を延々としているのだ。”Ugly”というテーマだけで。
僕は最近ファッションの言語化に関する話が好きなので、周りにオタク特有の早口で息巻いて話すことが多いのだが、いい友達が多いのできちんと話は聞いてくれるものの、心の底では「たかが服でしょ」とあまり熱意が伝わらないことが多い。
でも、前述の記事をを流し読みするだけでもいかにバカでかい文脈がファッションの上にのっかっているかはわかると思う。
ただ、この文章の内容をシュッと理解できるかというとそんなこともないと思う。一発じゃすんなり入ってこないくらいにスケールのでかい話をしてるから。それだけの規模の文脈がファッションには乗っているらしい、というのが伝われば僕としては十分だ(筆者でもないのに何様だが)。
僕はWebやアプリのUIデザイナーが本職である。効率性やシステムとしての美しさを追求する職業なのだが、一応自分ではクリエイティブに属する職業のつもりである。
クリエイティブ職として自分なりの哲学はあるのだが、その中の一つが「クリエイティブな活動を一番ドライブさせるのは『嫉妬』という感情である」というものだ。
僕はファッションは素人だ。しかし本当にこの”Ugly”の文章を読むと嫉妬しか覚えない。逆に問いたい。羨ましくないのか?ファッションというものをこれだけの解像度で見てる人間がいるのだ。羨ましくてしょうがない。俺も早くこれになりたい。何ためにこの筆者と同じ2個の眼球と脳みそがついてるのかわからないレベルだ。
話は少し逸れるが、記事でも触れられている空山基氏という日本のアーティストがいる。
セクシーロボットというシリーズが代表作である。
👇公式サイト
http://sorayama.jp
この日本人アーティストの作品がキムジョーンズ率いるDIORの19プレフォールでフィーチャーされ、東京でのショーで発表されたのは記憶に新しい。
(この前伊勢丹で実物を見てきたがメタリックのプリントが安っぽいのは気になってしまった。当然DIOR価格でめっちゃ高いのに…)
非常に失礼な物言いになってしまうのだが、空山氏は有名なのであろうが結局アートに造詣ある人でないと日本人ですらあまり知らないと思うのだ。(主観で語るのはさらに失礼なので一応Google Trendsで村上隆氏、会田誠氏、奈良美智氏、草間彌生氏などと比較はしてみたが結果はやはりという感じであった。)
しかしそれをDIORがわざわざ東京に出向いてフィーチャーしている。
アートやカルチャーをキュレーションする役割は下記のGUCCIの例などがわかりやすいが、ファッションブランドがもつ役割の一つであり定番だと思う。
さて、ここでもファッションの莫大な文脈を背負って空山基氏のキュレーションがDIORによって行われているわけだが、これめっちゃいいことじゃないですか。DIORという途轍もない影響力のメディアを通して(DIORが評価した)アーティストの発信が行われている。
つまりこの空山基×DIORの例で僕が言いたいことは「ハイブランド(モードブランド)、めっちゃいいアート活動してるじゃん!そりゃ世界規模で莫大な金が動いて評価されるのもわかりますわ〜〜」ということ。
つまりファッションって文脈が凄いんだなぁ、と言ってた前半の内容の具体的な事例でした。
ここから本題
ただ、ここで一つの疑問が湧いてくる。
「じゃあハイブランドを買ってる人たちってこの文脈を理解した上で買ってるの?」
答えはNOだと思う。なんの証拠もないけど。
このファッションの文脈を背負うにはあまりに莫大な勉強量が必要だし、客にそれを強要するのも違うし、そういう客のためにキュレーションしてるんだろとも言える。
じゃあお金持ちが買ってるのって何かと言えば、それはこの文脈を背負ったアートではなくてブランドではないかと。
もちろんこれまで重ねてきたアーティスティックな活動によってブランドの価値は作られてるけど、ブランドを買ってるだけの人間はそんなもの見てない。
タグにブランド名が書いてあれば十分なのではないか?ロゴがバーンて描いてある服が実際のところ売り上げを支えるのではないか?
それを受けてのこのツイートでした。誤字ってるけど。
🙅♀️番うんじゃないか
🙆♀️違うんじゃないか
ギャルソンにしたってコレクションラインの奇抜な服は売れないからPLAY(ハートが描いてるやつ)でビジネスを成立させてるみたいなのはどっかで聞いた話だ。
本当にまだまだ自分は不勉強で、ファッションというクリエイティブの一大業界の崇高なるところを理解できていないのだけど、それでもビジネスを成り立たせる消費者が皆その目線に立っているというのもなかなか信じがたく今はこの結論に至っている。
もちろんこういった事象を批判したわけではない。ヨウジヤマモトも経営破綻しているし、ファッションというビジネスがいかに難しいかはわかっているつもりだ。(以前は在庫を抱えるアパレルビジネスをしていた身としても)
それに、UXデザイナーとしては人間の感情に対して諦念を持つことは普段の思考のスタート地点にしている。自分だってこのような考察を言語化してもどうせ同じ金額使うならタグの4本のステッチ見えてる服とか背中にバッテンが描いてある服をこれ見よがしに着たいのである、人間だもの。
これまでの議論は「ブランド」というもののメンタルモデルと本質の差を論じたものだった。過激な言い方になるがメンタルモデルでビジネスを成立させ、その庇護のもと自由なアート活動を成立させている、と。
所属するコミュニティのおかげで周りに東京藝大の友人が多いが、日本の芸術の頂点である学校を出ている人々でもアートで生計を立てるのは難しいという話を聞いているとそのような思いは強まるばかりだ。
このブランド議論の延長線になるが、メゾンのデザイナーが頻繁に入れ替わりつつもブランドが成立しているのも似た話だなと思った。一般的な感覚では、「ブランド」と「デザイン」は密接に結びついているものである。「{{ ブランド名 }}が好き!」という台詞は往往にして「{{ ブランド名 }}のデザインが好き!」と同義なのは理解いただけるはずだ。
しかし現実で起きているのは昨日までLOUIS VUITTONのデザイナーだったキムジョーンズが翌日にはDIORにいて、DIORのデザイナーだったクリスヴァンアッシュはBerlutiにいるという事実である。さらに有名なデザイナーは自分のシグネチャーブランドをもっていることが多いので、勤め先と自分のシグネチャーブランドという、同じデザイナーがデザインする2つのブランドがほぼ同時にコレクションを発表するというのも珍しくない話だ。
これはブランドの根幹価値を揺るがしかねないことだが、こう言ったことがカジュアルに起きているのがまぎれもない現実である。
もちろんこれも批判したいわけではない。むしろ新陳代謝のためにいいことだと思うし、移籍したデザイナーはそのメゾンの歴史を解釈した上でデザインをするのでデザイナーが創るデザインとブランドが100%結びついているというわけでもない。
(さらに言えばロゴの変更や新たなデザイナーの登用はそのブランドのビジネス方針の表明なので外野がどうこういうことではないと思っているが、この話は長くなりそうなのでやめておく)
このようにハイブランドは一般的な感覚とのズレをうまく隠し、階級の維持装置としてのブランド・アイデンティティを金持ちの太いパトロンに提供し自らの自由度を保っているのだ、と僕は思った。
おしまい。
論を補強したい部分
- 全ての服がキュレーションを出発点にしているわけではない。もっと抽象的なテーマをグラフィックなど使わずカッティングやパターンで表現するブランドに関してはどう言語化するのか?
- 自由なアート活動でブランド価値は保全されるのか?メゾンが自由なアート活動をしているのだとしたら何を以って将来に向けたブランド価値を保証しているのだろう。
- まだブランド価値が構築されていないブランドは何を頼るのだろう。仮説としては「デザイナーがどこどこのメゾン出身」「セレクトショップやメディアによるキュレーション」みたいなところだ。
おすすめ記事
ロゴとブランドが密接に結びつくものなのは間違い無いと思うけど、それに関してはめっちゃこの記事がおすすめ。
近い議論をしてます(1000倍くらいハイレベルに)。
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